心のブログ 輝きのゆりかご
「 杖になる 」
こんにちは、かずてるです。本日もご訪問ありがとうございます。
今日は「杖になる」と題して語ってみたいと思います。
この投稿をご覧のあなたは、周りで困っている人やヘルプを必要としている人に対して、手助けされた経験があると思います。
献身的な人助けは大変良いことです。
何より、したことで自分も気持ちよくなれますし、他人への親切は心を高める近道でもあります。
僕は人助けのやり方によっては、
助ける人 / 助けられる人の双方に利とならないこともあると思っており、
そのような場面に遭遇したら、まず立ち止まって考えるようにしています。
そこに助ける理由があるのか?
果たして本人のためになるのか?
やるならどこまで手を貸すべきか?
当事者が困っているのを目にしても、本人で解決できるようなことだったり、助けを求められても自分で考え行動する意欲もない場合は手を差し伸べるべきではない。
と個人的に考えています。
これは大変だぞ。という状況に直面すれば迷わず助けに入りますが、最初から最後まではやりません。
あくまでも当事者本人のことですから、補助的なことしかしないようにしています。
ちょっと冷たいのでは? と思う方もいるでしょう。
しかし、人助けは代行ではありません。
補助でなければ意味はなく、 ” 杖になる” が本来の人助けです。
世の中を見渡すと、なんでも代行するのが親切と勘違いして、本人さんのすべきことを取り上げてしまう人や助けられる側もそれに甘え、おんぶに抱っこが当たり前になっている人を見かけます。
しかも、特に自分の大切な人であればあるほど、大方のことを代行しようとする傾向にあります。
親切は度が過ぎれば、逆にその人を弱らせる原因にもなります。
自分のことは自分でできるようでなければ、いざ支えがなくなった時に困るのは目に見えています。
自立を促すためには、ある程度の負荷をかけないといけません。
時には甘えに目をつぶって、突き放すことも出てくるかもしれません。
それは、また自分で歩いてもらうために必要なリハビリです。
やみくもに手を貸したり骨を折るのは禁物です。
もしあなたの大切な人が困っていたらぜひ助けてあげてください。
ただ、 ” 杖になる” だけでいい。
あなたにできるのはたったそれだけ。
その先に 「杖はもういらないよ。」 という言葉が返ってきたとき、
あなたという杖が間違いなく役目を果たしたと実感するでしょう。
最高の親切は
杖になるだけ
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