心のブログ 輝きのゆりかご
「心を知ろう〜 旅する心 〜 」その9
ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。
これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。
ココシリ 前投稿No.8 では、心はこの世を生きるために身体を利用しているとお伝えしました。
また、心は物質ではないためこの世で一生を終えたあとも、別の場所で生き続けるであろう。
というのが僕の考えです。
人生100年時代と呼ばれる今、人間の一生というのは、長いようでアッと言う間の出来事です。
一生を過ごすこの世は一体、何のためにあるのか?
そんな疑問が湧いてきます。
一つの生涯を閉じると、わたしたちはよく
あの世(天国)に行った。とか、帰った。旅立った。 という言い方をします。
そう、どこかであの世(天国)という場所があって、そこに行くのだという認識をおぼろげながら持っています。
その中でも輪廻転生(生まれ変わり)というものがあって、人間としての生涯を何度も繰り返している。
と信じる人もいることでしょう。
あの世があるという前提で話を進めると、
心(たましい)はあの世とこの世(現世)を行ったり来たりしているという訳です。
心(たましい)の本来いる場所はあの世です。
あくまでもホームはあの世であって、この世は一時的に外出を許された場所にすぎません。
わかりやすい表現をすると、旅行に行くような感覚ではないか。
… そう僕は思うのです。
旅に出るということは、いつかは家に帰らなければならない。
でも、家にいる時とは違う非日常がそこにはあって、旅先では見るもの、触れるもの、出会う人 ……
全てが新鮮な体験です。 旅にはたくさんの感動があります。
家にはないそれらの感動を味わうために、わたしたちは元々いたあの世からこの世へ旅に出向いてきたのでしょう。
そして、寿命と呼ばれる短い期間を決めて、その間に物質の中で心(たましい)の経験を積んで行く。
前出の生まれ変わりがあるならば、この世の人生を何度も旅して心は磨かれていく。
とすれば、
この世で生きる時間がとても貴重であると理解できるのではないでしょうか。
今お伝えしたものが仮設だとしても、これらを信じてこの世を生きるならば、
人生はむなしい。とか、人として生きるなどなんの意味があるのか。
という思いを巡らすことはなくなるでしょう。
わたしたちはみな旅に来ています。
それはほんの短い時間です。
ひとつの旅を終えるとき、楽しくて良い旅だったなぁ。また来たいなぁ。
旅ができたことに、ありがとう。と言えるものにしたいですね。
人生は尊い旅です。あなたもその真っ只中です。
では、良い旅を楽しんでくださいね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
特別編 ココシリ 前投稿 No.8 → 『〜心と身体の関係〜』
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