心のブログ 輝きのゆりかご
「心を知ろう 〜心は傷つくか〜」その5
ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。
これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。
こんにちは。かずてる です。
久々にココシリからの投稿になります。ぜひ最後までお付き合いくださいね。
あなたは、 ” 心は傷つく ” ものだ。 そうお考えでしょうか?
実際に世の中でも不運に見舞われたり、他人から受けた理不尽な言動によって、
心が折れた。とか、傷つけられた。
…… という表現は当たり前になっています。
一般的には、心に傷を負うということは受動的な捉え方になりますが、これらの考えをうのみにすると矛盾点も見えてきます。
ここで一度立ち止まって整理してみましょう。
正確にいうと、心とはよりパーソナルなものであって、他人が簡単に触れたり立ち入ったりできるものではありません。
あなたが唯一、心の管理人 なのです。
心とは対照的に生身の肉体は、他人が触れることもあれば、本人の許可なく自由を奪ったり、最悪殺めてしまうこともできてしまいます。
しかし、物質ではない心は外的要因で傷を負うことなど不可能です。
それでも、 心が痛い。病んでいる。 と感じることはあるだろうと思います。
根本原因が自分以外だとしても、そのような状態にしているのは他人ではなく自分です。
先にお伝えしたように、心は自分以外の人には管理できないということは、
心が気持ち良くても(青空) 病んでいても(くもり)、自分の責任なのです。
ではなぜ、心が曇ってしまう時ばかり、外部(他人や不運な出来事)のせいにするのでしょう?
それは、外部のせいにすれば自分を正当化できるし、その方が余計なことを考えなくて楽だからです。
一つの自己防衛だという言い方もできます。
たとえば、他人があなたの心に傷をつけてやろうとして、意地悪をはたらいたとします。
そんな場合、もちろんあなたに非は全くありません。
意地悪という攻撃を受け、心を傷つけられたと感じたとしたら、
それは自分自身が他人の意図に従って、
「わたしは心に傷を負うのだ」 と決心した結果です。
同時に相手の思うツボにはまったことを意味します。
悪意の刃(ヤイバ)を向けられた時こそ、ここを乱さないように自身を守ってあげられるか。
不当なものほどその限りではなく、永続することなどできない。
…… という事実があることを忘れなければ、悪意の刃を交わすのは難しくありません。
とにかく付き合わない。
心がどうありたいかを決めるのはあなた です。
心は決して傷ついたりしません。誰にも傷つけることはできません。
傷つく原因を他人に求めるのをやめれば傷は癒えます。
そして苦痛を終わらせることができます。
この真理は揺るぎないもの。
だから安心して人生の歩みを進めていきましょう。
次の機会のココシリもぜひお楽しみに。
コメント
[…] 前の投稿 ← → 次の投稿 […]
[…] ココシリ 前の投稿 No.5 ココシリ 次の投稿 No.7 […]