心のブログ 輝きのゆりかご
「心を知ろう 〜心に光を〜」その6
ココシリ 「心を知ろう」という新たな投稿の形を設けました。
これまで書いてきた通常の投稿とは一線を画する、よりメッセージ性の強い内容でお届けしています。
こんにちは。かずてる です。
輝きのゆりかごを立ち上げて、ちょうど一年が経ちました。
今日は記念すべきバースデーとなります。
地道に投稿を重ね、記事の方は60タイトルを超えました。
手探りでやってきましたが、今日まで継続できたことに感謝申し上げます。
まだまだ認知度の低いブログですが、今後も皆様のためになるような投稿をひたすらお届けできたらと思います。本日はココシリからお送りします。
人は光のある明るい場所を求めています。
この世が昼間のない真っ暗闇の世界で、電気という発明もなく炎さえもなかったと考えたらゾーッとしますよね。
光(明り)は活動の源です。
光よりも闇ばかりが多くては、生きていけません。
光と闇は表裏一体であり、それぞれが存在を支え合っています。
それってどういう意味?
と思う方も多いでしょうから、話を進める上で大切な基本から始めましょう。
あなたは、日中の明るさは光が差すことによるものだと知っていますよね。
なぜこれが光だと認識しているのでしょう?
それは日が暮れた後にやってくる夜の闇を知っているからです。
もし、夜が全くなかったとしたら、常に明るい状態が光だということに気付かないでしょう。
反対に朝が訪れない暗黒の世界に住んでいて、そこに突然一筋の光を見たとしたら、ここでようやく自分の居場所が闇の中なんだと気付くでしょう。
今のたとえで言いたいのは、
対極にある一方も経験して両方を理解していなければ、置かれている状況を知ることにならない。
…ということです。
昼と夜、 暖かいと寒い、 右と左、 上と下、 前と後、 高い低い、
これらはみな同じ理論です。
ただ、光と闇に関していうと、どちらも経験して知っていなければいけませんが、最初にお伝えしたように人は光を求めて生きるべきなのです。
これは心についても同様です。
心が光を欲しているのなら、エネルギーとなるべく光を獲得しようとするのが自然な成り行きです。
人の心には自由が与えられていて、闇に身を投じるのか、それとも光の中で生きるかは当人が決めることです。
しかしながら、闇の中では苦しくて長くはいられないのは確かです。
闇の苦しさを知ることは無意味ではありません。
なぜなら、闇の存在が光の心地良さを引き立てるからです。
人は真っ暗闇から這い上がろうとする時、光の眩しさに目がくらんで直視できないかもしれません。
中には、眩しさから闇の世界に舞い戻ってしまう人もいるでしょうし、勇気を持って光の中で更生の道を歩む人もいるでしょう。
罪多き人がいたとしても、再度光を求めようとする人をわたしたちは同胞として迎え入れ、暖かく見守るのが光多き人間の手本だと僕は考えています。
心に光を求める人が増えるように祈り、今回の投稿を閉じたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
次回もお待ちしております。お楽しみに。
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