心のブログ 輝きのゆりかご
「心ってなに?」
こんにちは。かずてるです。
初めて訪れた方ばかりと思いますが、ご訪問いただけてとても嬉しく思います。
投稿第二弾となりました。今回は本当の意味で、正式なお話しのスタートです。
あなたは ”心“ というと体のどこにあると思われてますか?
思った箇所に手をかざしてみて下さい。
頭かな。胸かな。おなかかも。いやいや、体全体だよ。
… きっと色々あると思います。
でも、一番多い意見は 胸(だいたい心臓のあたり)ではないでしょうか。
ちなみに僕はどこにあってもいいと考えています。
みなさんも自分がここだと思う場所があれば、そこが心のあるところと思っていいでしょう。
どうせ見えないし、どこにあったってオーケー。
それくらいアバウトでゆるくいきましょう。
” 心 “ って不思議なもの。
体のように、気持ちいい時があって、痛みを感じる時もある。
しかし、身体のそれとは明らかに違う。心と身体は同じように反応しません。
例えば、こんなお話しをしてみましょう。
Aさんは会社からの帰宅途中、つまずいてヒザを痛めてしまいました。
それなのに心はおだやかです。なぜでしょうね?
そのいきさつは…
今日、Aさんは会社で自分の担当するプロジェクトが、長年の末に成功しました。
仲間たちと喜びを分かち合い、ハッピーな心持ちで家路に着く矢先のケガだったのです。
だから、痛いはずのケガも”なんのその“という気分になれたのでしょうね。
このように、”心“ は体とは離れたところで存在していると分かります。
身体が体験すること。すなわち、先ほどのケガも目に飛び込んでくる全てのシーンも形は違えど、みな同じものです。
物理的に起こる出来事は体験となっていきます。
出来事は、ただただ出来事として存在しています。
重要なのは、出来事がこの時点で、なんの意味も持っていないということです。
では、あなたの”心“に問いかけをしてみましょう。
この画像をご覧ください。
あなたはこの風景(出来事)を見てどう感じましたか?
なんとなく田舎に帰ったような懐かしい気持ち。
癒された。鮮やかな色 ……等々
何かしら心で感じるものがあるはずです。
ここで初めて、出来事に対しての意味がもたらされるのです。
何も感じなかったとしたら、ただ画像がある。
ただそれだけのことです。
それこそが ”心“ の働きというものです。
では、もう一歩先を進んでみましょう。
心の感想を表現すると、
ある人は「なんとキレイな風景!」と声に出します。
外に向かって発せられた言葉は出来事に変わります。
さらに、この場に誰かが居合わせていたら、その人も ”心“ で何かを感じます。
もしかしたら、前の人と同じように行動するかもしれません。
そうなれば、心にあったものが出来事になり、そしてまた心に変わりどんどん拡散して行くでしょう。
このサイクルはずっと続けられていて、
”心“ は常に動いているのです。
わたしたち人間が、言葉を発したり行動すれば、
”心の発信者“となります。
そうです。”心の発信者“ 次第で、
そのあとの出来事の行方が決まるということです。
こうしてよく見ると”心“はとても大きな存在だと気付かされます。
目に見えないからといってぞんざいに扱えないと思いませんか。
” 心 “ ってそういうものなんです。
あなたは ”心“ をどのように見ていますか?
あなたは ”心“ とどう付き合っていますか?
”心“ をもっと知りたいと思った人はラッキーな人かもしれません。
”心“ という離れることのないパートナーを理解するチャンスだからです。
僕はそう考えています。
身に起こる出来事に意味はない
あるのは心が決めた表現だけ
さあ、あなたならどう考えますか?
投稿第二話を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回も全力でお届けします。お楽しみに。
次の投稿を見る → https://kagayaki-yurikago.com/toukou-003
かずてる
コメント
[…] さて、前号では”心“とは何かというテーマで僕なりの考えをお話しました。 その中で、心→出来事→心→出来事というサイクルが 絶え間なく続けられているとご紹介しましたね。 関連テーマ → 心って何? […]
[…] 気なる方はこちらをお読みください。 関連テーマ → 「心って何?」 […]
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